第一部 南インド
成田からマレーシア航空に乗りインドのチェンナイへ到着する。途中クアラルンプールの空港でトランジット数時間とかなり待たされてた分やっと到着という思いが強い。私がインドを目指したのは1998年秋にタイを旅した時に多くのバックパッカーからエキサイティングで面白い所と聞いたからだ。インドは若いうちに行け!って言葉があるがついでにそれは何故なのか確かめてみようかな。
夜中に到着した為、空港から市内へはちょっとした事があった。その後もチェンナイで何かとネタになりそうな話がいくつか起こったのはバックパックを担いだ旅がまだ2回目って事もあったのだろう。
チェンナイに数日滞在し南のマハーバリプラムへ向かう。途中、カーンチープラムでジジイの操る人力リキシャーを一日100RSでチャーターして数時間で観光。100RSは払いすぎだったように思うがまあ仕方あるまい。バスでマハーバリプラムへ着いた時は既に夜になっていた。ここは夜でもそんなに危ない感じではなかった記憶があるがそれでも見ず知らずの所に夜着くのは嫌な物である。ターミナル近くの宿で一泊して翌日は観光。遺跡が多く残り所々から槌でのみを叩くカンカンと石像を彫る音が聞こえてくる。子供達が「スクールペン!スクールペン!」「サー、マネー」と声を掛けて来るのはうるさかったが好きな町だ。
マハーバリプラムは気に入ったが一泊しただけで出てしまった。なにせ移動が好きなもので・・・沈没なんて出来ない性格なんです。そしてクンバコナムへ。ここの宿でマハーバリプラムで会った日本人バックパッカーと再会した。彼はボサボサの髪とボーボーの髭が印象的な早稲田大生。彼とは進む方向が同じだったのでここから共に旅をすることにした。
二人旅になり部屋もシェアできて益々経済的に旅が進む。ガンガイコンダチョーラープラム、タンジャブール、ティルチイ、マドゥライ、ラーメーシュワラムを経てやって来ましたインド最南端の岬カニャークマリ。ここはインド洋とアラビア海が合流する所で岬から見た朝日は印象に残る物だった。まぁおばちゃんのおかげで印象に残っているかもしれないけどね。(苦笑)
同行の彼がマサラは食べられないとバナナやパンで過ごしていたのに私はMEALSに慣れて随分気に入りバクバク食っていたなぁ。マサラって言うのは香辛料の事。インドのカレーは日本のとは全く違う。日本流にどばっとご飯に掛けると辛すぎて食べられない。日本のカレーはイギリスから輸入したから違いが生まれたんだろうけどもしもインドから直輸入していたら別の物になっていたんだろうな。間違いなく今のように国民食になっていなかっただろう。
カニャークマリで一泊だけしてトリヴァンドラムを経由し遂に到着コヴァーラム・ビーチ。彼とはここまでのはずだったが泊まったゲストハウスにいたチャラチャラした(既に死語?)日本人が嫌だったらしくこれから先も同行する事になった。私も見事に溺れたのでここには良い思い出がない。
翌日トリヴァンドラムへ戻りバックウォーター船の旅の拠点になるクイロンへ。この宿のエロエロインド人は印象的でジキジキって言葉を知ったのは彼から。船に乗ってクイロンまで行きその日のうちにコーチンまで。船の旅8時間は長すぎる。コーチンから3時間程度のコースがあるらしいのでそっちの方が良かったかもな。
コーチンでは市内ツアーに参加してシナゴーグや島を観光。特に印象的ではなかった。ここも一泊しただけで次の町へ向かった。次はデカン高原の入口の町・・・名前は忘れた(笑)