2002年11月23日
<さらばルアンパパーン>
今朝も托鉢風景を拝む。オレンジの坊主にうやうやしく供物をささげるおばちゃん達、昨日と変わらぬ風景。観光のために無理に続いているのではなく長く根付いた習慣は荘厳な感じがする。坊主を見て気付いたが供物をもらった後に壷の中をチェックして花や葉っぱなど食えないのを捨てていた。おぃおぃ、せめて寺まで持ってけよ。
朝食を食べ少し休んで宿をチェックアウト。道でサイドカータクシーを捕まえ空港へ。最初一万キップだったのが簡単に六千キップまで下がった。相場はもっと低かったのかも。約十五分走ってちいさな空港へ。
ところがガイドブックに間違ったことが書いてあったので長時間待つはめに。さすが地○の迷い方。待ちくたびれて嫌になっている頃、ようやくチェックイン開始。ボーディングパスに係員が座席番号のシールを貼って渡される。おぉ、ここは座席管理にコンピューターを使っていないのか。こんなの初めて。ウドムサイ、シェムリアップ行きが飛び立ちやっとビエンチャン行きの出番。機体に???と書かれたプロペラの中型飛行機が飛んできてそれに乗せられる。当時、日本外務省の危険情報にラオ航空の飛行機は???以外の機体は老朽化が激しく乗らないように書かれていたがこいつは大丈夫なようだ。レイアウトは2×2の18列で74人乗り。全員が座席に着きプロペラがぶんぶん回り始め一気に加速し離陸する。ほなさいなら、ルアンパパーン。
<空の旅>
飛行機は雲の少し上まで上昇する。まずは山岳地帯を飛ぶ。道沿いに町があるが下は圧倒的に緑が多い。くねくねした川も流れている。すると遠くに海のように大きな湖が見える。これがラオス最大のダム湖????か。この辺りから飛行機は高度を下げる。それと同じくして下は平野になり町や農地が増えてくる。機内にはスチュワーデスが一人いておしぼりとコーラの機内サービスがある。着陸直前かなり揺れたがバスで十二時間の道を約四十分でビエンチャンに降り立つ。やはり飛行機は早いなぁ。
<パクセーへ>
空港を出て何十年も前の四角く白いコロナのタクシーのお誘いを断りバスターミナルへ歩いて向かう。するとトゥクトゥクが寄ってきて乗れと言うので値段を質問。向こうの言い値は一万でおいらの言い値は三千。五千まで下がったがそれ以上下がらないようだったのでもういいと背中を向けたら向こうが折れて三千で交渉成立。バスターミナル近くの市場タラートサオへ。途中、何回か人に呼び止められて乗ったり乗らなかったりしたのでここのトゥクトゥクは方向が同じなら相乗りできるようだ。
広いタラートサオを抜けバスターミナルへ。パクセー行きのバスを教えてもらいトイレを済ませフランスパンを買って乗り込む。出発10分前だったが通路にプラスチックの背もたれのない椅子が置かれていて運良く座れた。少し遅れて出発。パクセーまで約15時間の地獄のロードの始まりだ。
バスは満員。椅子が悪いのと朝から座っている時間が長かったので一時間走った頃にもう尻が痛くなってきた。代わり映えのしない風景も辛い。私の前の窓のガラスがないので風が入って寒い。タムティン洞窟の二の舞にならないように毛布を出して腹を守る。日が沈んでからますます風が冷たくなる。私の両隣には中年のラオス人とデブの白人。このデブが通路にはみ出してきて邪魔。しかも臭いし。ただでさえ環境が悪いのに人の乗降激しく何回もバスが止まる。
走り始めて約七時間でターケーク着。約45分間で食事・トイレ休憩。ここからかなり人が減り二人掛けの席に移動した。親子連れが隣に乗ってきて三才位の子供が私にニコニコしてくるのでサバイディーと挨拶したら向こうが何回もサバイディーと返してくる。手と手を合わせたり指で腕をつっついたりして遊んだ。親は英語がわからなかったので名前などわからなかったが子供は一人でいると可愛いね。集団になると手に負えなくなるけれど。
一時間程度で親子が降り、暇になったので毛布をかけて爆睡体制に入る。容赦なく冷風が入り、道が悪く揺れるが私の敵ではない。いつか眠りに落ち、何回か目を覚まし、バスは暗闇の中パクセーへ向かう。
計:63000kip (US1$=10710kip)