第二部 タイ北部
ピサヌロークでは一人で空飛ぶ野菜炒めを試し空しい気分になり、タイで最も美しいと言われる仏像を見てからスコータイへ向かった。
スコータイは旧市街と新市街に分かれていて宿を新市街に取る。ソンテウ(トラックの荷台に人が乗れるようになった乗り物)に乗って旧市街観光へ。旧市街では自転車を借りて効率良く周った。中心部は人通りが多いが少し外れると人通りが無くなり寂しい雰囲気が漂う。ここでタイのガキどもにサインをくれてやった。(偉そうな表現だね) この日の夜はロイ・カトーンのイベントがあったらしいが終わるまでいるとソンテウが無くなってしまうので夕暮れ時に旧市街を後にした。
翌日バス停でチェンマイ行きのバスを待っていたら日本人と偶然出会う。彼は青年海外協力隊員で約30分位で協力隊やその他色々の話を聞いたりした。これが私と協力隊の出会い。もし彼と出会っていなかったらこのページを作る事は無かったかもね。
チェンマイでは日本語ガイドブックに載っている日本人宿へ。客は殆ど日本人。ボスみたいなおっちゃんがいて面白かったな。このゲストハウスで変なお祭りに誘われたり首長族の村の情報を聞いたんだよな。このゲストハウスはトレッキングツアーをやっていて私も一泊のツアーに参加。山岳民族の村で一泊したんだけど観光客を受け入れるだけあって太陽発電のソーラーパネルあり夜も電気ありで裕福な村だった。もっと貧しいと想像していたのでガッカリ。このツアーで別の協力隊員と会って受験を決めたんだっけな。まぁ人生とはどんな事がきっかけになるかわからんもんです。また、チェンマイ滞在中にロイ・カトーンの祭りを見た。近くで花火がバンバンなって耳が痛くなったけど川を流れる灯篭やコンファイと呼ばれる気球が空を飛ぶのを見て赤い宝石が散りばめられているみたいだな〜って感動したよ。
チェンマイから飛行機でメーホーンソーンへ。目的は首長族の村を訪れるため。ピックアップで約一時間走って着いた村にはテレビで見た通り首の長い人が何人も。でも驚きは無かったな。違和感無く首の長い人が存在する事を受け入れられた。学校で勉強したり家のお手伝いをする首長の少女。やっぱり普通の人なんだぁって思ったよ。日本に帰って首長の少女の写真を見せたらある友人が気持ち悪いって言ったっけ。口論はしなかったけど気持ち悪いとは何事だこの野郎って思ったよ。この村にはひどいドモリ癖のある日本人のおじさんが住んでいた。彼が村人と仲が良いから日本人は受け入れてもらえるんだとか。変な人だったけど感謝しないといけないよな。
夜は星がいっぱい出ていたなぁ。丁度月も欠けていてこれでもか!って位よく見えた。一緒にいた日本人と寝転がって空を見ていたっけ。未だこの時以上の星空には出会えていない。歓迎会もあった。首長の少女が布を振り回して踊っていた。ちょっと照れが入っていたのか元々この程度の実力なのか知らないがまぁこんなもんって踊り。お返しに日本人旅行者5人で曲名は忘れたけど日本の歌を歌ったなぁ。ビーチサンダルの鼻緒が取れたのを直してくれた男の子、アルプスいちまんじゃくを日本語で遊べる女の子、あんたバカねとよく言う女の子などなど優しい子、面白い子が多かった。
彼らは元々ミャンマーに住んでいたが軍事政権の少数民族に対する弾圧が原因でタイに逃げてきた難民。ちなみに日本政府はODAを使って軍事政権に支援をしている。長い目で見たら軍事政権の崩壊は必然だと思うのだが・・・ 日本の資金が軍事に流用されて彼らの生活を侵害していない事を祈る。
首長の村からメーホーンソーンへ帰る。ミャンマーに近い為かビルマ風建築のお寺がいくつか建っていた。その日の夜バスでチェンマイへ戻りすぐにチェンライ、メーサイへ。メーサイからミャンマーのタチレクへ行った。特に何も無い町だったが生まれて初めての陸路国境越えはワクワクしたっけな。日帰りでチェンライまで戻る。
チェンライから日帰りでゴールデントライアングルへ。民族衣装を着た子供が写真を撮ろうと声を掛けてきてかなり観光地な印象。ここへ行く途中に食べたチャーハンに当ってひどい目に遭ったっけ。
そしてチェンマイを経由し観光客がほとんどいないカーンペーン・ペッへ。破壊された遺跡と下痢に悩まされた事が特に印象に残っているな。そして次はいよいよ東北部の玄関ナコンラチャシーマ(コラート)へ向かったのである。